大阪高等裁判所 平成2年(う)310号 判決 1993年5月19日
国籍
韓国(全羅南道康津郡郡東面龍沼里三八八)
住居
大阪市西成区花園北二丁目一〇番一六号
会社役員
呉本利雄こと 呉貞鉄
一九三六年一二月二一日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年三月一四日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 野田義治 出席
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月及び罰金一億円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石松竹雄、同藪下豊久連名作成の控訴趣意書、控訴趣意補充書及び控訴趣意補充書(二)に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官三ツ本輝彦作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、要するに、本件各事業年度における被告人の事業所得に関し、仕入、企画料・情報提供料、社外外注工賃、給料賃金の勘定科目について、原判示認定の金額以外にも、昭和六〇年度は計三六九九万一〇〇〇円、同六一年度、同六二年度は各計三九〇〇万円の簿外支出があるから、これを除いて各年度の所得を過大に認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、原判決が挙示する関係各証拠によれば、本件各事業年度における被告人の所得金額は原判示のとおりであることができ、当審における事実取調べの結果(被告人の当審公判供述等)によっても、右認定を動かすに足りない。
所論は、原判決が認定した以外の簿外支出の概要として、
1 仕入(皮その他材料と製品)
原判決が認定した仕入分(皮仕入各五〇〇万円、製品仕入昭和六〇年度一三八五万三五一七円、同六一年度一二六〇万二四六八円、同六二年度一七五四万三九〇〇円)
以外の簿外仕入分
各年度各一三〇〇万円、合計三九〇〇万円
2 企画料・情報提供料
原判決が認定した支払分(デザイナーに対する企画料各四五〇万円、個人からの情報提供料各二〇〇万円)以外の簿外支出分
各年度各二二〇〇万円、合計六六〇〇万円
3 社外外注工賃
原判決が認定した支払分(昭和六〇年度二〇〇万九〇〇〇円)以外の簿外支出分
昭和六〇年度九九万一〇〇〇円、同六一、六二年度各三〇〇万円
4 給料賃金
原判決認定分以外のアルバイトないしこれに準ずる短期雇用者に対する支払分
各年度一〇〇万円
があるというが、所論に副う被告人の当審公判供述以外に直接これを認めるに足りる証拠はない(所論が自認するところでもある。)ところ、被告人の右公判供述は記憶だけによるおおよその金額を感覚的に述べたに過ぎないというものであって、その正確性には多分の疑問があること、被告人は捜査段階で判示認定額以上の簿外経費に言及したこともあるが、被告人の収税官吏に対する質問てん末書等関係証拠によると、収税官吏は、裏付けとなる帳簿、伝票、領収書等の証憑書類がなく、それが被告人の記憶のみによるかなり概括的な簿外支出に関する主張や弁解であっても、一応の合理的説明がなされたものに関しては、言い分どおりの全額を簿外経費として認容しており、被告人の捜査段階供述をみると、被告人は、簿外経費のうち、企画料・情報提供料の支払先については、その氏名を知っている者についてこれを明らかにすることを拒んだ上、いずれも原判示認定の各金額に合致する限度で簿外経費の申述をしており、それぞれの金額に間違いがないことを述べそれ以外の簿外経費はないことを改めて確認さえしているのであって、とりわけ、前記2の企画料・情報提供料については、当初は(昭和六三年五月一六日付質問てん末書、検九九)、デザイナーを含む不特定多数の相手に月平均で一五〇万円から二〇〇万円を支払っていた旨ほぼ所論に副う供述をしていたが、のちに(同年七月二〇日付質問てん末書、検一一〇)、右の勘定科目は、デザイナーに対して支払った報酬が各年度四五〇万円まで、その他の情報提供者に対する謝礼が各年度二〇〇万円までと再確認して前言を訂正し、先の供述は、言えば経費として認めてもらえるかも知れないと思っていわゆるサバを読んだものである旨告白していること、被告人は原審公判で公訴事実(原判示事実と同じ)を認めていることなどに照らすと、被告人の当審公判供述を措信することはできない。
所論は(当審弁論を含む)、<1>被告人経営のサロンドグレーの各事業年度における利益率が、被告人と同じ婦人靴製造業界で常識的に考えられないような異常に高い利益率になること(TKC経営指標業種別財務諸表一覧中の革製履物製造業に関する分を参照)、<2>本件において国税当局も認める婦人靴一足当たりの生産原価を総売上足数に乗じて得られる原価に同じく国税当局が認める諸経費を加えた金額を、その総売上金額と対比して利益率を算定すると、原判決認定の損益計算法による所得計算に基づく利益率の方が遙に高率であること、<3>被告人の各事業年度における資産の増加額と原判決決定にかかる右各年度の総所得金額との間に大きな差がみられることなどからすると、被告人が当審公判で供述するように、被告人の各年度の所得には国税当局が把握していないかなりの金額の簿外支出があったことが強く推認されると主張するので検討する。
所論<1>について
当審において取り調べた「TKC経営指標各業種別財務諸表一覧(黒字企業平均)の革製履物製造業部分(当答弁一)に掲載されている本件各事業年度における同種企業の総売上利益率(営業利益の総売上金額に対する比率)を被告人のそれと比較してみると、被告人の利益率の方が非常に高いこと、とくに営業利益率に関しては、前者が、昭和六〇年度四・三パーセント、同六一年度及び六二年度各三・六パーセントであるのに対し、後者(被告人の分)は、昭和六〇年度二七・六パーセント、同六一年度三四・五パーセント、同六二年度三四・七パーセントに達していることが認められるから、これが他の平均的な同業種企業のものと比べて著しく高率であることは所論が指摘するとおりである。しかしながら、本件はほ脱所得額の認定は実額に基づく損益計算法によっている上、右TKC経営指標は、税理士及び公認会計士の任意団体が編集した企業の経営診断の参考とすべき資料の一つであり、内容的に相当に信頼がおけるものであるにしても、そのサンプルの数は余り多いものではなく、そこに挙げられている関係数値は、その中での平均的な経営レベルを示すものとして、同種の他企業の経営状態の良否を判断するのに利用して便利なものではあっても、その企業の経営の良否に関わらず、大方の企業がその指標とほぼ同様の実験を収めるはずであるといった基準にまでなり得るものとは思えず、これを直接課税手段や所得計算の根拠として用いるのは適切でなく、所論は採用できない。
所論<2>について
所論が控訴趣意補充書において試算するとおりの計算結果に従えば、その利益率に所論が指摘するような食い違いが認められる。しかしながら、所論のいう生産原価五二〇〇円は、もっぱら、被告人が供述する極めて概括的な数値の合算に基づいて算出したもので、具体的な原価計算資料等に基づいたものではない点で、既にその正確性に疑問があるから、これをもとに利益率の差を指摘して原判決の認定を争う所論は採用できない。
なお、所論は、右生産原価は国税当局も認めた正しい価格である、ともいうが、損益計算法によって所得計算をおこなう場合個々の科目は実額に基づいて確定する必要があるが、棚卸資産については必ずしも実額でなく評価額によることになるから、その評価方法のいかんによってはかなり大きな金額的な幅が生じることとなるところ、本件において国税当局は、もっぱら事業所得金額の計算上必要経費に算入する売上原価を算定するため、被告人の供述をもとに、八種類の原価法のうち最終仕入原価法(所得税法四七条、同法施行令九九条一項、一〇二条一項参照)によって期末棚卸商品の評価額を算出したものであって、実際の生産原価と一致しないことが当然予想されるものである。
所論<3>について
本件各事業年度内における被告人の資産の増加額は原判示の総所得金額の増加額よりも、昭和六〇年度において三八五九万〇四六四円、昭和六一年度において七四五一万一二四七円、昭和六二年度において七一五〇万六一五五円少なく、その差額の存在は前記各科目の簿外支出を強く推定させる、というが、本件におけるほ脱所得金額の算定は損益計算法に基づきその実額を立証している場合であるから、これに対する反論も、本来は争いのある各勘定科目の具体的な金額について直接的に行われるべきであって、財産増減法による反証は当を得ないのみならず、被告人の各年度における資産がいうとおりのものですべてであるのか、あるいは被告人の生計費を含めた支出が主張の限度にとどまるのかなどになお不確定の要素があるとみざるを得ないことなどに徴すると、所論の主張は、いまだ損益計算法によって所得金額を算定した原判示認定を覆すに足るものでなく、これを採用することはできない。
以上、原判決のほ脱所得金額の認定に事実誤認のかどはなく、論旨は理由がない。
二 控訴趣意中、量刑不当の主張について
所論は、被告人に懲役一年六月及び罰金一億円を科した原判決の量刑は、とくに懲役刑の執行を猶予しなかった点において重きに失する、というのである。
所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、婦人靴の製造業を個人で経営していた被告人が、昭和六〇年度から六二年度の三年間にわたり、実際総所得金額が約一億七〇〇〇万円から約二億九〇〇〇万円あったにもかかわらず、その所得金額を六三〇万円ないし八四〇万円に過ぎない旨過少の確定申告をして、合計四億三三〇〇万円余りの所得税をほ脱した事犯であるが、そのほ脱税額が非常に多額であり、ほ脱率も平均九九・三パーセントという高率であることに徴すると、その刑責は重大であり、併せて近時この種大口脱税犯に対する納税者一般の処罰感情が厳しいことなどをも考慮すれば、被告人にとって有利ないくつかの諸事情を斟酌しながら、なお、本件は刑の執行を猶予すべき事案ではないとし、被告人に対し懲役刑について実刑で処断した原判決の量刑も一応首肯し得ないでもない。
しかしながら、原判決がその(量刑の事情)の項において説示している量刑理由に沿って改めて考察してみるのに、原判決は、被告人に不利な情状として、前記のようなほ脱金額の多さやほ脱率の高さを挙げるほかに、本件犯行の態様が大胆でありかつ常習的であること、本件犯行の動機は、被告人がいうように事業を拡大充実させ、ひいては従業員の雇用関係を安定させようとしたものだとしても、それは経営者として誰もが願うことで格別酌むべき事情にはならないということなどを説示しているが、本件犯行の背景、経緯、動機、態様等を当審における事実取調べの結果(被告人の三、四、五回公判における各供述、証人寺崎寧、同中山粂夫の各証言等)をも参酌して検討してみると、次のとおりの事実関係、すなわち、被告人は、昭和五四年ころ独立して婦人靴の製造業を始めたが、その経営努力と工夫によって事業は好調に推移発展し、やがてその営業利益は極めて多額に上るようになったこと、被告人の開業当時ころ、韓国系の金融機関である信用組合大阪興銀が中心となり、主としてその取引先の顧客を会員とする納税協力団体である大阪西成納税経友会が設立され、大阪興銀と取引があった被告人も早々にその会員として加入し、以後同会の顧問税理士等の指導を受けながら同会を通じて納税申告(白色)をするようになったこと、同会では確定申告時には所轄の西成税務署から署長以下担当係官の出席を求めて納税説明会を実施し、同署からは前年より少なくとも一割以上の納税実績は確保するような意向が示されていたこと、本件当時の同会会員(約二〇〇名)の大部分は白色申告者であってその納税意識は高くなく、同会に納税申告の相談をするにあたっても帳簿類の資料を持参する者は極めて少なく、同会側の指導助言というのも、前年分よりも一割以上は増額して申告するように勧めるだけで、資料に基づいて厳密に所得を算定することはなく、申告が一割を超えるものであれば黙って受け付けるといった大雑把な扱いであったこと、その結果同会が代行して作成提出する確定申告書の内容は、おおむね所得や控除の明細部分の記載が欠けた杜撰なものであるが、税務署においてとくにこれがチェックされるということはなかったこと、被告人としても、そのような実情のなかで前年の申告額に一割以上増額した税申告さえ行っておけば事実上咎めを受けることはないものと安易に考え、独立後数年経って業績が急激に伸びた時期になってもその意識を持ち続けていたこと、被告人の本件各事業年度の申告所得金額は、それぞれ六三〇万円、七二〇万円、八四〇万円で、その増加率は一四、五パーセントとなるが、これは経友会の前記指導の線に十分沿った形であること、当時同会の会員らの申告所得金額の平均は三〇〇万ないし四〇〇万円程度のものであり、その中での被告人の申告額は上位にランクされるものであったこと、同業者内における被告人の事業規模はせいぜい中程度とみられるところ、被告人が税申告額を決めるに当たっては、上位と思える他の同業者の所得金額を上回って突出させるのを避けたいという配慮もあったこと、その結果としての被告人の本件脱税行為は、主として事業所得を実際よりも過少に申告し、それに付随する雑所得の申告を行わないという単純な手口によるもので、架空仕入れ、売上除外、二重帳簿の作成、証拠資料の改竄破棄等ことさらな不正手段を計画的、積極的に講じたような場合ではなかったこと、納税申告から落とした所得は、仮名預金口座に振り込む等隠匿したが、これは脱税によって得た利益の蓄財運用の方法であって、それ自体が脱税手段というものではないことなどが認められる。
以上に摘示した事実関係に照らすと、被告人の税申告についての安易な態度は厳しく非難されるべきではあるが、反面本件脱税の態様が大胆であるという原判決の先の評価は必ずしも事案にふさわしいものとはいえず、常習的であるという点も、この種脱税事件が一般的に具有する行為特性以上のものではなく、本件事業年度以前から継続して経友会を通じて税申告を行っていた事実は、常習的と非難するよりも同会の方式に従って本件犯行に至った経緯として理解することができ、一人被告人のみを指弾することは酷な一面もあること、また、本件犯行の動機に格別酌むべき事情はないとする点についても、その背景や経緯までも含めて観察してみると、被告人が置かれていた当時の環境や前記経友会への加入、同会の納税相談や税申告手続きの在り方、所轄税務署の対応、他の同業者の税申告状況等が多分に被告人の納税意識を低調にし、脱税に対する罪障感を鈍麻させる風土もしくは雰囲気として被告人の犯行に影響を及ぼしたことが推察されるのであって、原判決も説示しているように、被告人が納税義務履行の重要性とその違反に対する制裁の厳しさに気付く機会がないまま本件犯行に及んだということは、広い意味で動機面での情状として有利に斟酌してもよい事情と考えられる。
そこで更に、被告人のその他の情状について勘案すると、被告人は韓国籍の渡航者であるが、婦人靴製造業者として相当年月にわたって刻苦精励して成功し、その間格別の前科前歴もないまま、真面目な社会生活を過ごしてきたこと、本件による摘発を受けるや、素直に事実を認めて反省し、査察調査には進んで協力したうえ、納付すべきとされた所得税及び地方税の本税、重加算税、延滞税を加えた全額である合計七億五千万円余(その額は本件各事業年度の総所得金額を凌駕する。)を完納したこと(延滞が許されていた地方税の一部五七〇〇万円余は原判決後に納付)、再度同じ過ちを犯さないための対策として、従前の個人事業を法人化するとともに、その後は税理士による監査の下に適正な税申告が行えるように経理環境を整備し、それを実行していること、加えて被告人は、改悛の情をより具体的に表わす方法として、原判決後に合計五〇〇〇万円の贖罪寄付(日本赤十字社及び法律扶助協会に各二五〇〇万円)も行っていること、などの諸事情が認められる。これら被告人に有利な情状をも加えて考えると、本件における量刑として、事案の性質上そのほ脱額に応じた相当額の罰金を科するのは当然だとしても、懲役刑について実刑以外に選択肢がないものとして厳しく臨み、被告人に社会内処遇による更生の機会をまったく与えないまま。直ちに長期の服役を余儀ないものとするのは、いささか酷に失するきらいがある。結局、原判決の量刑は、被告人に対し懲役刑の執行を猶予しなかった点においては不当に重く、これを維持するのは相当でない。論旨は理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を棄却し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決が認定した各事実に、その挙示する各法条(懲役刑と罰金刑の併科、罰金刑の上限の選択、併合加重、換刑処分について同様)を適用し、なお、懲役刑については刑法二五条一項を適用して、本裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 重富純和 裁判官 濱田武律 裁判官 出田孝一)
平成二年(う)第三一〇号
○ 控訴趣意書
被告人 呉本利雄こと
呉貞鉄
右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の理由は次のとおりである。
平成二年六月二八日
弁護人 石松竹雄
弁護人 藪下豊久
大阪高等裁判所第二刑事部 御中
第一 原判決には、事実の誤認があって、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一 被告人は、原審公判廷において公訴事実をすべて認めて争わなかった。それは次のような理由に基づく。すなわち、本件各所得税違反の事実について、被告人の経営するサロンドグレイにおける婦人靴の売上額は、すべての売上を正確に記載していた売上帳、販売先の調査等に基づき、国税当局により全額調査把握されているのに対し、仕入、外注工賃、従業員給料を除く経費については、ほとんど記帳されておらず、仕入等についても簿外のものがあったが、これらの簿外の支出については、被告人の供述以外に格別の資料がなかった。被告人は、国税局の調査を受けるに当たり、仕入、企画料・情報提供料、社外外注工賃、給料賃金(アルバイト料)等については、原判決認定のもの以外に、更に簿外のものがあったので、取調に当たった収税官吏に対して、これらの 簿外支出のあることを主張したが認められず、結局被告人の主張した簿外支出のうち国税当局の容認するものだけが、収税官吏作成の被告人に対する質問調書に被告人の簿外支出に関する供述として記載されたのである。被告人は、不満であったが、何分ともこれらの簿外支出については、証憑書類が全くないため、諦めの気持から、検察官の取調に対しても、原審公判においても、これを認めたが、以下に詳述するとおり、これらの各科目については、原判決認定のもの以外に更に簿外の支出があるのである。
二
1 仕入
原判決は、簿外仕入として、各年度につき五〇〇万円ずつの皮仕入、昭和六〇年度一三八五万三五一七円、同六一年度一二六〇万二四六八円、同六三年度一七五四万三九〇〇円の製品仕入を認めた(原判決は、右金額を具体的に認定しているわけではないが、原判決は、検察官が冒頭陳述で主張した各年度の修正損益計算書のとおり認定しているのであるから、その根拠として検察官が冒頭陳述で主張した内訳明細書記載の各金額についても、そのとおりの認定をしたものと認め、以下この例によって記述する。)。右皮仕入は、被告人の供述によって認めたものであり、製品仕入は、昭和六二年度については、売上単価五〇〇〇円以下の商品(婦人靴)の売上のうち、工程表にない、すなわち自社製品でない売上を調査して算出した金額を簿外製品仕入額とし、昭和六〇、六一年度については、これらの各年度の売上単価五〇〇〇円以下の商品の売上に、同六二年度の非生産割合(売上単価五〇〇〇円以下の商品のうち自社製品でないものの占める割合)を適用して簿外製品仕入額を推計することによって、これを認定したものである。しかし、靴製造業界では、種々の事情から製品、材料の現金取引をすることも少なくなく、これら現金での取引先の多くは、継続的に取引のある得意先ではない製品や材料のブローカーの類である。被告人も、これらの者から、かなり纏まった量の製品や皮その他の材料の現金での買入方を要請されたことが度々あり、商品を見て適当だと考えられる場合には、直ちに現金買をしたのであるが、その場で決済して納品書、領収書等も出さず、相手の氏名、商号等も確認せずに終わっているため、証憑書類は何も残っていない。そのような取引量はかなり多く、決して原判決認定の額に止まらず、その他に、少なく計算しても、本件各年度について、皮その他の材料と製品とを合わせて、各一三〇〇万円、合計三九〇〇万円の仕入がある。
2 企画料・情報提供料
原判決は、企画料・情報提供料として、本件各年度について、デザイナーから流行商品に関する情報やデザイン画・型紙の提供を受けたことの対価として支払った簿外企画料各四五〇万円、百貨店の店員や問屋のセールスマンからどのような靴が売れているかについての情報の提供を受けたことに対する対価として支払った簿外情報提供料各二〇〇万円を認めているに過ぎない。被告人は、どのような靴を製造すればよく売れるかということに強い関心を有し、そのための情報収集に非常に努力し、その結果、婦人靴のメーカーとして大きな利益を上げているのであるが、正規の教育をほとんど受けておらず、日本語、特に漢字の読解力が非常に低く、これらの情報も耳でしか得ることができない。そのため、百貨店(約八店)・有力小売店(約三店)の店員や問屋のセールスマン等にかなり多額の金を与えて、どのような商品がよく売れるか、流行はどのような方向に向かうのか、というような点についての情報を得ていたのであり、これら企画料ないし情報提供料と認められるべき金額は、一人に一回二万円ないし二〇万円で、合計毎月二〇〇万円以上に達していた(デザイナーに支払ったものを除く。)のである。したがって、デザイナーそのものに支払った対価は原判決認定のとおりであるとしても、企画料・情報提供料が全体として、本件各年度について、各六五〇万、円に止まるということは絶対になく、原判決が認定した各年度六五〇万円の他に少なくとも各年度について各二二〇〇万円の企画料・情報提供料が認められるべきである。
3 社外外注工賃
原判決は、社外外注工賃として、昭和六〇年度に、二〇〇万九〇〇〇円を認めたに過ぎない。しかしながら、被告人は、繁忙期には、一週間以内の短期間で仕事を社外に外注していたが、これらのいわゆるスポット物については、現金で支払をし、領収書・伝票等の証憑書類を作成していないし、記帳もしていない。その金額は、本件各年度について、少なくとも各三〇〇万円を下らない。したがって昭和六〇年度については、三〇〇万円から原判決認定の二〇〇万九〇〇〇円を差し引いた九九万一〇〇〇円、同六一、六二年度については、各三〇〇万円が、社外外注工賃として認められるべきである。
4 給料賃金
被告人は、アルバイトないしこれに準ずる短期雇用者については、賃金を日数割りで現金により支給していたが、これらの賃金については、領収印なしで、賃金台帳などの書類にも記載せずに、これを支給していた。その金額は、少なくとも毎年一〇〇万円に達していた。したがって、原判決認定の金額の他に、給料賃金として、本件各年度について、各一〇〇万円が認められるべきである。
三 以上二の1ないし4の各科目について主張した原判決認定金額を越える金額については、被告人の供述(控訴審における)以外にこれを立証すべき直接の証拠はない。しかし、これら原判決認定の金額を越える金額のあることは、次の事情によっても裏付けられているのである。すなわち、原判決認定事実に基づいてサロンドグレイの利益を検討してみると、当期売上金額から、売上原価、すなわら仕入金額(期首製品棚卸高+当期仕入金額-期末棚卸高)・外注工賃・給料賃金の和を引いた売上総利益は、昭和六〇年度では、金額で一億八〇〇九万二一一八円、利益率で三三・七%、同六一年度では、金額で二億五九八八万二〇二五円、利益率で三九・一六%、同六二年度(雑収入として計上されている一三万五〇〇〇円を除く。)では、金額で二億七七九八万五六〇二円、利益率で三九・四%であり、更に経費を引いた純利益は、同六〇年度では、金額で一億四七三六万三八四一円、利益率で二七・六%、同六一年度(喫茶アミーズ勘定を除く。)では、金額で二億二九一四万五六二一円、利益率で三四・五%、同六二年度(雑収入として計上されている一三万五〇〇〇円と喫茶アミーズ勘定を除く。)では、金額で二億四四八八万一四四六円、利益率で三四・七%となっているのである。これを公表されているある経営指標(TKCシステム開発研究所発行のTKC経営指標の業種別財務諸表一覧〔黒字企業平均〕、控訴審において立証する。)中の革製履物製造業(一企業当たりの売上高、昭和六〇年度七億〇〇八六万二〇〇〇円・同六一年度六億六四三八万六〇〇〇円・同六二年度六億二六一〇万七〇〇〇円)の売上総利益の売上金額に対する比率が、昭和六〇年度で一四・六%、同六一年度で一三・九パーセント、同六二年度で一四・二%であり、営業利益の売上金額に対する比率が、同六〇年度で四・三%、同六一年度で三・六%、同六二年度で三・六%であるに対比してみると、サロンドグレイは、全く異常としか言いようのない高利益を上げていることになるのである。これは、サロンドグレイが如何に優良企業であるとしても、それだけで説明し得るものではなく、その売上がすべて把握されているのに対し、なお把握されていない簿外仕入や販売費等の簿外支出が存在することを高度に推認させるものである。なるほど、被告人本名及び仮名の定期預金の昭和五九年ないし同六二年の各年度末現在の残高によって、本件各年度におけるその増減をみると、昭和六〇年度は一億四〇一八万四七八二円、同六一年度は一億五八七九万四六二二円、同六二年度は八六八一万七三七三円の各増になっている。しかしながら、その金額は、いずれも前記純利益より相当に下回っていること(同六〇年度については、外貨建預金約二五〇〇万円の解約がある。)、各年度において、婦人靴の売上以外にいずれも二〇〇〇万円を越える雑所得(呉本時宗からの利息収入を主とするもの)があること、本件各年度における被告人方の事業外の支出としては、昭和六〇年度における自宅の増改築があるが、その増改築資金三〇〇〇万円は大阪興銀からの借入金をもってあてており、その他には、同六二年度における長男昌時のアメリカ留学に伴う費用や金融機関からの借入金の返済等を除いて大きい支出はないこと等を考慮すると、右の程度の定期預金の増加は、むしろ被告人の婦人靴販売業による事業所得が原判決の認定よりかなり下回っていたことを強く推測させるものであるということができる。
四 してみると、原判決には、仕入、企画料・情報提供料、社外外注工賃、給料賃金の各科目について右に指摘したとおりの事実誤認があり、その誤認にかかる課税所得の金額は、昭和六〇年度について三六九九万一〇〇〇円、同六一・六二年度について各三九〇〇万円に達するのであるから、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第二 かりに事実の誤認がないとしても、被告人を懲役一年六月及び罰金一億円に処した原判決の量刑は、不当に重いといわなければならない。
一 被告人は、一五歳のころ日本に密航してきた者である。しかし、その密航の事情は、昭和二五年に勃発した朝鮮戦争のため、生育地である当時の朝鮮全羅南道では学校にも行けなくなり、日本に渡航すれば教育を受けられるかもしれないと考え、日本にいる兄呉利鉄や姉を頼って密航したというのであって、その事情には同情すべきものがある。密航なるが故に、日本で正規の教育を受けることはできなかったが、以後四〇年間、外国人登録法違反罪によって二度罰金刑に処せられた(一回は、登録証明書不携帯)以外に前科前歴は全くなく、真面目な社会生活を送り、永住権を得ることもできた。渡航以来兄の経営する婦人靴製造業で働き(その間、婦人靴小売店の経営を任され、不慣れの故に多大の負債を負ったこともあった。)、昭和五四年独立して、婦人靴製造業サロンドグレイを経営するに至った。当初従業員三名で出発したが、被告人の非常な経営努力によって業績を伸ばすことができ、本件各年度においては、それぞれ原判決認定のような売上を挙げるまでに成長した。韓国籍であるというハンディキャップを負い、日本語に必ずしも習熟しておらず、特に漢字の読解力の非常に低い被告人がここまでの成功を収めることができたのは、不屈の忍耐心をもって勤勉な生活を続けるとともに、旺盛な研究心を働かせて商品の流行の方向を探り、寝食を忘れて経営に当たったからにほかならない。
二 本件脱税額が三年間で合計四億三〇〇〇万円余りに達し、ほ脱率も非常に高い上、仮名預金口座を開設して所得を隠匿するなどの不正手段もとられていることは、原判決の説示するとおりである。また、本件犯行の動機が経営の安定のために資金を蓄積することにあったこと自体、租税ほ脱犯の情状として格別酌むべきものとなり得ないことも原判決の指摘するとおりであろう。しかし、本件の脱税額が高額であるといっても、そのことだけで直ちに懲役刑について執行猶予を付し得ないとする程高額であるわけではないし、また、原判決指摘のこれらの事情に目を奪われて、本件犯情の特質、すなわち、被告人の属する靴製造業を含む皮革業界の納税意識が極めて低く、納税実績が低調であり、少なくとも本件当時はそうであって、自然にそのような納税慣行に従った被告人を強く責めることはできないこと、本件犯行の動機原因を経営安定のための資金獲得のみに単純化することはできず、被告人が本件脱税をするについては、かなり特殊な被告人に同情すべき事情が存在していることを見失うならば、それは、決して被告人の責任に応じた正当な量刑をすることはできない。すなわち、被告人は、もともと納税の意思がないのではなく、サロンドグレイの開業間もなくから、大阪西成納税経友会に依頼して納税をしていたのである。同納税経友会は、韓国系の金融機関である大阪興銀の取引先業者で西成税務署管内に事業所を有する者を主たる会員(かなりの数の靴製造業者とその材料供給業者が会員となっている。)とする任意団体であって、顧問税理士の指導を受けて、納税相談や納税申告の代行などをしていたものであるが、<その実態は、税務署との接触を通じて、例えば本年度は前年度のほぼ一割増し程度の税額になるように申告すれば税務署の容認を得られるというように、毎年税務署側の態度に対する感触をつかみ、それに従って、各会員の申し出る所得額・税額について、適宜指導助言をした上、申告手続の代行をしていたものである。>被告人は、サロンドグレイ開業後最初の申告をするに際し、先輩の同業者らにどれぐらいの所得額で申告すればよいか相談し、その助言された額に従い納税経友会に依頼して申告納税した。その後、被告人の業績は伸びたが、毎年納税経友会に相談し、その指導助言に従って前年の納税額に若干の積み増しをする程度の申告をしていたのである。靴製造業者の納税意識は極めて低く、西成税務署管内の靴製造業者は、納税経友会の会員である者もそうでない者も、本件当時は、被告人と大同小異の申告をしていた者が全部であると言っても誤りはないであろう。<本件各年度について西成税務署管内の公示された税額一〇〇〇万円以上の高額納税者の中に靴製造業者はいないようである。>積極的に脱税の意図がなくとも、先輩同僚の同業者らに相談し、所属納税団体の助言を求めれば、被告人が本件各年度についてしたような程度の申告に落ち着くのがむしろ自然の成り行きであったのである。被告人が仮名預金を開設して所得を隠匿するなどの不正の方法をとったのも、まず、脱税を計画し、その手段としてこれをしたのではなく、むしろ同業者と同じような程度の納税申告をしているうちに申告を越える所得についてなんらかの秘匿措置をしておかねばならぬと考えてこれを行ったとみるのが自然であろう。(以上の諸点については、控訴審において補充立証する。)
被告人のこのような納税態度がほめられるべきものでないことはいうまでもない。しかし、わが国における納税事情として、職業集団によって納税意識と納税実績とに顕著な相違のあることは、古くから指摘されているとおりである。また、わが国では、税金を個人の権利義務の行使として実感することが少なく、「お上の費用」のやむを得ない分担として観念する傾向が今日でもなお残存しており、そのような傾向と関連して、納税者がグループ化することもわが国の納税における一つの特色である。税務当局も納税者のグループ化をむしろ奨励し、そのグループ内における自主的計算をある程度許容することによって、納税者との摩擦を避けてきたのである。被告人は、たまたま納税意識のはなはだ低い職業集団と納税グループに属し(従来靴製造業が、被差別部落の出身者や、従前差別的な社会生活を強いられる一方日本国民と同様の政治上の権利を享受し得ない韓国籍の人達によって営まれたことにかんがみると、このような納税意識の低さにも理由があると考えられる。)、その助言に従いその動向に沿った申告をしたという面が強いのである。これらのグループの中で、被告人のみ独り正確な所得申告をすれば、同業者中において突出した高額の納税をすることになるが、同業者や納税グループの意向や雰囲気を無視してそのような申告をせよと要求するのは酷なことではなかろうか。被告人は、その営業成績が良好である故に、このような同業者の中でたまたま第一番目に国税当局の査察を受けたものであると推察される。以上のような被告人の脱税をめぐる事情は、量刑上本件を特徴づける重要な事情に当たるというべきである。
三 被告人がもともと意図的に脱税を企てたものでなく、納税グループや同業者の動向に従って、自然的に脱税行為に走ったものである点は、被告人のしたという所得の隠匿行為が非常に幼稚であり、国税当局の査察を受けるやたちまち売上の全額をすべて把握されてしまっている一方、支出については、架空支出の計上がないのは勿論真実の支出さえその立証資料を散逸させてしまっていること、被告人自身査察を受けるや直ちに反省し、当局の調査にはなはだ協力的な姿勢をとっていること、被告人は、本件各年度の修正申告に基づく所得税本税・加算税・延滞税合計六億一八四一万六二〇〇円及び事業税・住民税一億三二〇五万五一〇〇円をいち早く完納していること、本件査察後昭和六三年一一月株式会社サロンドグレイを設立し、以後顧問税理士を委嘱し正しく納税義務を履行していること等の諸事情によっても、十分裏付けられているというべきである。また、被告人は、右のような多額の加算税・延滞税によって制裁を受けているばかりでなく、本件によって長年夢みた日本への帰化の希望をも絶たれるなど、厳しい事実上の制裁を受けているのである。また、被告人の懲役刑服役により株式会社サロンドグレイが壊滅的な打撃を受けることはいうまでもない。
四 以上指摘した諸事情を含め、本件諸般の事情を考慮すると、被告人に対する前記量刑が重きに失し、特に被告人を懲役刑の実刑に処したことははなはだ過酷であるといわなければならず、原判決は到底破棄を免れない。
以上